2013年3月11日月曜日

午前が空いたので、ただの日記でも書いてみた

2013/3/11の午前10:10です。

改めて簡単に自己紹介しつつ、備忘録として最近あったことや、一昨年なにしてたかな?ってのを綴りたいと思います。特に面白みは無い予定ですので、暇じゃない方はスルーして下さいね(笑)

■自己紹介
私は、普段は朝から晩まで仕事をする傍ら、月二回ほど運動をし(主にバドミントン)、夜はアルコールを恋人とし、昼間は煙草を友達とする模範的非健康的な人間です。

お仕事は飲食店を元気にする。とか抽象的な事ではなく、集客の為の意識改革から始まり、実際に集客を伸ばし、維持するカタチを作ったり、コンセプト設計からタイル一枚、お皿一枚の選定までサポートする軍師のように立ち回るお仕事です。時には前線でバリバリ作業もしてます。

そして、現状実戦部隊は私のみでやっておりますので、仕事が溜まると殺人的です。もう少し楽をする為のビジョンと行動スケジュールはありますが、まだ先です。もしかしたら突然ブレイクスルーするかもしれないけどね。

ちなみに、趣味はお酒と煙草とスキンケア、バドミントン、時々TVゲームの類(やりたいんだけど、中々手が伸びない)。

■備忘録
最近は幾つか溜まった事が、片付いたのでちょっとぼけーっとしてました。主に弊社のホームページを改善したり、記事ネタ集めたり、親族とホテルで食事したり、浮いた噂は作れませんでした・・・・・私はそれをとても残念に思っています。が、しかし去年も思ったのだけど、能動的に恋人を作ろうとか、女の子とイチャコラしてやろうという気力が湧かないのは事実。メールしたけど、放置プレイとかしてたかも・・・・関係者の方ごめんなさい・・・。

他には、お慕いしている経営者の方々と飲んだり、今年の飛躍(仕事)のカタチが見えてきたりと、三月、四月は燃え上がりそうな匂いがプンプンです。そして、四月以降は去年大変お世話になった方々ともっと会おうと誓っていますので、去年、一昨年とお世話になった方々。是非私と会って下さい!もちろんまだ見ぬ素敵な方々との出会いも切望しております。

こうして書いてみると、本当にぼけーっとしてたんだな。と感じる備忘録になってしまった・・・。
うぅーむ・・・他に何かないものか・・・・そうそう弊社のクライアントに、かなり深刻な状態のお店があって、かなり苦戦しています。
私は今まで何店舗かの潰れかけのお店や、実際に潰れた飲食店に居た事がありますが、弊社のクライアントは正に潰れたお店と同様の空気が漂っているので、かなりの危機感を感じています。事は何か打ち出せばどうにかなる問題ではなく、意識改革と信用回復からスタートなので、一朝一夕には事が進みません。
焦る気持ちを抑えてスケジュール通りに事を運ぶ。でもこれって実は一番難しいと思いませんか?私はそう感じています。クライアントの方もそう感じてらっしゃると思いますが今は我慢の時です。

うん。なんとなく備忘録・・・っぽくはないが、字数は埋まったので、よしとする。
果報は寝て待て?

■一昨年何してたっけ?

一昨年と言えば、震災のあった日ですね。多くの人々の心と体に衝撃を与えた震災だったと思います。被災された方々、関係者の方々にいくばくかの私の祈りも届けばと思っています。

かくいう私も、当時ディズニーリゾート内の商業施設『イクスピアリ』にあった、初代フレンチの鉄人石鍋裕氏監修のお店『クイーン・アリス』(現在は名称変更して営業しています)でランチ営業を行っており、そろそろランチも終わるなぁ~なんて思っていた矢先の出来事でした。
クイーンアリスのスペシャリテ「フォアグラのソテー大根添え」

突然揺れ始めたかと思ったら、次第に「洒落にならない」と気づき、まだいらっしゃったお客様の元へと直行。「ご安心下さい」と声をかけるが、内心心臓バクバク。シャンデリアは160度近くまで揺れ、従業員の女の子達は動けず、男性スタッフ一名を呼び、お客様を安全な場所へと誘導しつつ、シャンデリアなどの損壊を防いでおりましたが・・・・・。

お店が見るも無残な姿になっていくのをただ黙って見ているしかありませんでした。

セントラルヒーティングの水を運ぶパイプが【なんらかの力】で切断され店内はシャワー状態で水浸しに、200kg以上あるワインセラーは倒れ、1946ラフィットロートシルトもご多分に漏れず割れて、その芳しい香りを店中に解き放ち、テーブルにセットしてあったシルバーやプレート、グラス類は明後日の方向に飛んでいき、棚に保管していたグラス類は9割損壊。バーカウンターのお酒はカンパリやカシスといったお酒が割れて、まるで血の海。

キッチンやオフィスも書類や、機器が倒れ、落ち、飛散している状態。

従業員は怖くて泣いているし(家族などとも連絡がとれない)、正直内心は俺も泣きたいと思った(笑)今だから生きているし、お客様も従業員も、誰一人怪我なく今を生きているので笑って言えるが、当時は本当に洒落にならないと思った。(富士山噴火でもしたかと思って焦ってた)

しかも、当時支配人だった方はお店を留守にしており、私が次点の位置だったこと。ですが、私は揺れが落ち着くと、自分でも意外なほど冷静で、その理由は訓練を受けていた事。この時ほど、朝眠いのに地震の訓練を受けておいて良かったと思った事は、後にも先にも無いんじゃないか?と思っています。

案内の放送に従って、お客様を安全だと思われる場所まで誘導してもらい、ガスのチェック、レジ締め、損害状況確認と、やるべきことを終えて、避難開始。電話が通じず、外部の情報も入ってこない為、ひたすら道を歩き続ける。道路の脇は、液状化現象で水が吹き出し、駐車場にはポッコリと穴が開き、避難予定場所も液状化で使えず、皆かなり疲労しているのが見受けられました。寒かったのも拍車をかけていたのかもしれない。(けど、揺れに比して建物の損壊が余りないのがビックリだった。ウチは最上階だったから余計に揺れたのかもしれない。後は構造上の問題)

そして、空が淀み雨が降り始めると、体力の減少はピークに。しかし、運よくアンバサダーホテルのロビー内に陣を張れたので、私達は難を逃れたが、あのまま外にいたらきつかったと思う。

皆不安だったと思うけど、よく耐えてたと思う。それぞれの焦りは眼に見えてたけどね。その後は崩壊したお店へと一足先に戻り、現状把握に努め、会社と運よく連絡を取り、今後の動きについて相談。皆をお店もしくは従業員避難場所に集結させて、事後処理etc・・・・。

それが、一昨年のあの日の出来事。

これで終わりになるが、実は、去年も違うブログで同じような事を書いている。でも、今でも鮮明に思い出せるんだなぁと改めて実感している。今何気なく生きているかもしれないが、あの時の教訓は今でも生きていると思っています。

そして、震災が無ければ今の自分もないかもしれない。少なくとも独立予定は30だったので、今はまだ会社員だったかもしれないと思うとゾっとする。今までお会いしたたくさんの方々とお会いしてなかったのか?と思うとね。

こんなとりとめのない日記になってしまったが、たまにはこういう風に書きなぐるのも良いもんじゃないか?と思います。きっと数年後に見返すと色んな発見があるはず。それが楽しみである。

おわり


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